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復刊なった竹中労の『聞書 庶民列伝』を読んでいます。
こちらで話題にのぼりましたテーマについても、出て参りましたのでご参考まで。
牧口と天皇(幼少期に巡幸で柏崎を訪問) p76
江差追分については p192
幡随院長部衛ものの影響を受けたという表現に感じる違和感は、侠客ものというテンプレートが先にあって、牧口の行動がそれをなぞったかのようなイメージにも受け取れるからではないかと思います。
それよりも、行動に影響をあたえる要因はたっぷりあるのではないだろうかと…。
また幡随院長部衛ものの歌舞伎は、ポピュラーな娯楽であったと思うのですが、にもかかわらず戦争に対して抵抗し得たのは、わずかであったという点も問題になるのではないかと思うのですが…。
蔵書目録については、「ない」と思います。以前、全集の獄中書簡から、差し入れ書籍の目録をつくったことがありますが(紛失してしましました)、歌舞伎や講談本があったとは印象に残っていません。
教育勅語の話については、どういった相手、状況に対しての発言かという点が重要ではないかと思います。
ロジックとしては熊田さんのご指摘通りかもしれませんが、その意味するところ、また相手にどう働きかけたかったかというと「批判」ということになるのだろうと理解しています。
宮台真司の「ネタ」と「ベタ」という図式がここで使えるのかどうかわかりませんが、近代国家の立ち上げに天皇を「ネタ」として利用した時代の明治人・牧口と、それこそ竹槍で戦争に勝てると「ベタ」に思わされていた座談会の聴衆や取調官とのコミュニケーションの場面での言葉遣いだった点に注意する必要があるのではないかと…。
いかがでしょうか。
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