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全227件の内、新着の記事から20件ずつ表示します。 1  2  3  4  5  6  7  8  9  10  |  《前のページ |  次のページ》 

小野さんへ

 投稿者:熊田一雄  投稿日:2008年 7月 6日(日)12時16分6秒
   国民が守るべき「最低限の道徳」と位置づけていたのであって、「最低の道徳」と批判していたのではありません。もちろん、総力戦体制下の日本の知識人に、教育勅語を全否定していた人は、いなかったと思います。

http://blogs.yahoo.co.jp/bxr074650401

 

小野さんへ

 投稿者:大本順成@日尊門流  投稿日:2008年 7月 6日(日)12時10分3秒
  >自分の物差しで他人を計るべきではない。

他人の事なんて計っていませんが、どういう思考回路をされているのでしょう。
何か勘違いされていませんか?
被害妄想もはなはだしいです。

私は2年ほど前に、こちらの管理人さんと、「戸田城聖を聞く会」でご一緒したことがあります。
その縁もあって、質問させていただいた次第です。

そもそも小野さん指摘の部分は、私の自己紹介部分に関するところであり、なにも他者の信仰を云々したものではありません。

それとも私の質問自体が、なにか都合の悪いことでもあるのでしょうか?
板を荒らす意図はありませんので、聞いてはいけない質問をしてしまったのであれば、取り下げ、以降こちらにはお邪魔致しません。
管理人さんのご判断にお任せいたします。
 

大本さんへ

 投稿者:小野不一  投稿日:2008年 7月 6日(日)11時45分15秒
  > 「本門戒壇之大御本尊」「日蓮本仏論」からは卒業しましたが(以下略)

 ここは学会員が主催している掲示板なんだからさ、もっと常識を弁えるべきだと思いますよ。「卒業」というのは、お宅の勝手な判断であって、自分の物差しで他人を計るべきではない。

http://d.hatena.ne.jp/sokaodo/

 

「教育勅語は最低の道徳である」

 投稿者:小野不一  投稿日:2008年 7月 6日(日)11時40分30秒
   当時の状況を踏まえれば、この発言は明らかに「批判的な意図」があったと読めます。例えば、もっと直截に教育勅語を批判した人は存在したのでしょうか? こういった事実検証というのは並大抵の作業ではないこととお察しいたします。

「侠客」という言葉が、どうも我々学会員に馴染まないのは、やはり牧口先生が教育者であったためかも知れません。また、生活を重んじる牧口先生の信仰態度が、「侠客」のお気楽さと相容れないような印象を受けます。

 ちなみに私は侠客派です(笑)。

http://d.hatena.ne.jp/sokaodo/

 

はじめまして

 投稿者:大本順成@日尊門流  投稿日:2008年 7月 5日(土)22時52分35秒
  初めてお邪魔致します。
大本順成と申します。「本門戒壇之大御本尊」「日蓮本仏論」からは卒業しましたが、富士門流の信仰を捨てることができず、現在は日尊門流にて信仰をしているものです。

牧口常三郎先生・戸田城聖先生の思想には興味が尽きません。
もしかしたら、ここではタブーかもしれませんが、私は両先生が誰の影響を受け、国立戒壇を主張されたのか、田中智学先生との通用はあったのか、この点を知りたいです。
戸田城聖先生が、山川智応博士の著作類に注目していた様子は、その講演記録などで、山川智応博士の所論に対する批判があることから知ることができます。

富士門流や日蓮宗の、祖師像信仰中心主義、仏像本尊中心主義から、大曼荼羅御本尊中心主義への傾倒は、田中智学先生の思想から始まっていると考えられます。
国立戒壇論と同様に、曼荼羅本尊至上主義ともいう信仰観は、田中智学先生や山川智応博士の影響によるものと考えます。

学会系の出版物もほとんど入手しましたが、田中智学先生や山川智応博士との通用を裏付ける資料には出会えませんでした。
この点につき、なにか良い資料をご存知でしたら、ご教示の程お願い申し上げます。
 

小野さんへ

 投稿者:熊田一雄  投稿日:2008年 7月 5日(土)19時54分3秒
編集済
  いえいえ、調べるのは私の商売ですから。

牧口常三郎は「最低限の道徳」として教育勅語や天皇への忠義を認めているのですから、「時代の制約を超越した」とまではいえないと思います。「軍閥と共産党が日本を滅ぼす」と主張した新渡戸稲造とその親友の牧口常三郎は、「天皇=幕府/官憲=旗本奴/自分=侠客」と考えていたのではないかと思います。また、創価学会も認めているように、牧口が「戦争反対」を口にしたり文章にしたりした記録はありません。

http://blogs.yahoo.co.jp/bxr074650401

 

熊田さんへ

 投稿者:小野不一  投稿日:2008年 7月 5日(土)10時20分55秒
   いやはや勉強になります。『牧口常三郎と獄中の闘い』は読んだんですが、やはり通読しただけでは、身につきませぬ。

「天皇陛下も凡夫である」「教育勅語は最低の道徳である」という牧口先生の発言は、「時代の制約を超越したもの」と評価されるべきだと考えます。常識を疑う作業なくして、哲学は成立しません。

http://d.hatena.ne.jp/sokaodo/

 

新渡戸・牧口と天皇

 投稿者:熊田一雄  投稿日:2008年 7月 4日(金)08時59分4秒
  新渡戸も牧口も「天皇への忠誠」を言いますが、忠誠は「良心の自由」を譲り渡すものではないというスタンスです。その点が、軍部と仲良しで内村鑑三の不敬事件を糾弾した東大の御用学者・井上哲次郎(1856-1944)などとは決定的に違う点です。

http://blogs.yahoo.co.jp/bxr074650401

 

牧口常三郎と天皇

 投稿者:熊田一雄  投稿日:2008年 7月 4日(金)08時11分3秒
編集済
  小野さん、こんにちは。

第三文明社(編)「牧口常三郎と獄中の闘い」第三文明社、2000年に、牧口の天皇観が記録されています。

  私は学会の座談会の席や、また会員その他の人に個々面接の際度々陛下のことに関しまして、
  天皇陛下も凡夫であって、皇太子殿下の頃には学習院に通われ、天皇学を修められているのである。
  天皇陛下も間違いも無いではない。明治初年に明治天皇に山岡鉄舟は随分ご忠告をして間違いを指摘されたそうである。と話した事がありますが、全くその通りであります(p132)。

その一方で、

  (前略)日本国民は陛下に忠義を尽くすのが臣民道であると考えます(p135)。

牧口の天皇に対するスタンスはクリアです。

http://blogs.yahoo.co.jp/bxr074650401

 

Re:牧口常三郎と新渡戸稲造

 投稿者:小野不一  投稿日:2008年 7月 3日(木)05時30分35秒
   ああ、そうでしたか。チト、不勉強の身でやり取りするのが恥ずかしくなってきました(笑)。

 私は先に紹介した『青い春』(海老沢泰久著)を読み、江戸時代に虐げられ続けてきた民衆の怒りが、廃仏毀釈運動のテコになったことを初めて知りました。もちろん、寺請制度や葬式仏教の歴史は知識としてはありました。ところが、小説という形で生々しい苦悩を目にした時、歴史のマグマが熱せられ、噴火に至る温度を体感したわけです。

「『賊軍』の地に生まれた」とのことですので、泥水を飲まされるような思いの人々を凝視していたことは、十分考えられますね。ただ、牧口先生・戸田先生は最も多感な時期を北海道で過ごしてますから、多少の変化はあったことと推察します。

 また、牧口研究に欠如しているのは、「天皇に対するスタンス」だと個人的に思っております。明治期に生まれたわけですから、天皇を無視しては国家観が成り立たないように感じます。

http://d.hatena.ne.jp/sokaodo/

 

牧口常三郎と新渡戸稲造

 投稿者:熊田一雄  投稿日:2008年 7月 2日(水)20時28分29秒
  小野さん、はじめまして。

江差追分は、若いときに北海道で本式に習っていたそうです(聖教新聞社(編)「牧口常三郎」聖教新聞社、1972年、p478)。ブログに、新渡戸稲造が「幡随院長兵衛」について書いた文章をアップしておきました。新渡戸と牧口は、20年以上付き合っていましたから、相互影響を想定するのはムリではないでしょう。新渡戸も牧口も、戊辰戦争の「賊軍」の地に出生していますが、そのことがふたりの反・中央(=薩長)意識に影響している可能性があります。

http://blogs.yahoo.co.jp/bxr074650401

 

牧口先生の「任侠精神」について

 投稿者:小野不一  投稿日:2008年 7月 1日(火)23時58分38秒
   熊田さん、初めまして。興味深く読ませていただきました。

 個人的には、牧口先生が明治初期に生まれたことを鑑みれば、江戸時代における仏教の堕落(寺請制度)〜廃仏毀釈運動の影響の方が大きいと感じます。

 http://d.hatena.ne.jp/sokaodo/20080519/p4
 http://d.hatena.ne.jp/sokaodo/20080613/p2

 任侠精神という感情よりも、「道理・哲学の人」といった印象を受けます。

 生前の牧口先生を知る和泉覚副会長(故人)によれば、よく宴席で「江刺追分」を歌っていたとのこと。「上手ってわけでもなければ、下手ってわけでもなかったけれど」と語っておりましたよ(笑)。

http://d.hatena.ne.jp/sokaodo/

 

新版・庶民烈伝、登場。

 投稿者:りゅう  投稿日:2008年 6月27日(金)23時58分54秒
編集済
   本日、ついに、ついに復刊なった『聞書 庶民烈伝(上巻)』を、入手できた。

 なんだか、夢のような、信じ難いような、不思議な感慨にとらわれている。

 本文は、400字詰めの原稿用紙にして1000枚をはるかに超える大著ながら、昨今珍しい、24字×22行・2段組のレイアウトで、新聞の活字とほぼ同じ大きさの文字ではあっても、原著より格段に目に優しく、読みやすいものとなっている。

 巻末に、原著にはなかった人名索引と文献索引がつき、非常に役に立ち、参考になる。
 さらに、『左右を斬る』所収の、「潮」読者講演会録も資料として転載されている。

 詩人で、戸田二代会長の実の甥に当たる・暮尾 淳氏と、中国思想研究者たる・加々美 光行氏の二人による「解説・解題」が、なかなか読ませる内容。本書を手にとられた方は、本文より、ぜひこちらから読み始められることをお勧めしたい。

 おそらく、“信濃町”は、本書の復刊そのものを無視するのだろうが、とにかく、すべてが閉塞状態のこの現世に、警鐘を打ち鳴らすであろう本書がふたたび登場したことを、素直に喜びたい。

 なにはともあれ、三一書房殿には深く感謝。 ああ、下巻の刊行が待ち遠しくてならない。
 

歌舞伎の影響でした

 投稿者:熊田一雄  投稿日:2008年 6月22日(日)14時15分38秒
編集済
   講談ではなく、歌舞伎の影響でした。牧口常三郎(1871-1944)は、旗本奴(権力)の横暴に抵抗して惨殺された町奴・「幡随院長兵衛」を主人公とした歌舞伎の影響を受けていたと思います。次の文章は、創価教育学会の渉外を担当していた矢嶋秀覚の証言です。

 先生はまた歌舞伎が大変お好きでした。毎月必ず一回は奥様といっしょにお出かけになった。その時のうれしそうな、楽しそうなお姿が今でも目に浮かぶ気がします(聖教新聞社(編)「牧口常三郎」聖教新聞社、1972年、p478)。

http://blogs.yahoo.co.jp/bxr074650401

 

ご教示ありがとうございます

 投稿者:熊田一雄  投稿日:2008年 6月22日(日)05時23分1秒
編集済
  てんてんさん、ご教示ありがとうございます。

牧口常三郎の蔵書目録があれば実証研究が進むと思うのですが、ご存じないでしょうか?

私の作業仮説は、次のようなものです。牧口は、旗本奴(権力)の横暴に抵抗して惨殺された町奴・幡随院長部衛ものの影響を受けていたのではないか。戸田城聖は、牧口の「弱きを助け、強きを挫く」任侠精神を継承しつつも、それを集団本位的な方向に展開させて、「水滸伝」「三国志」を会員に推奨していたのではないか(「清水の次郎長」的だった、と言えるかもしれません)。池田大作氏は、参謀室長時代に軍隊式の規律訓練を導入するなど、それをさらに集団本位的な方向へ展開させてのではないか。そして今では、軍隊式の規律訓練(ex.マスゲーム)が若い世代にはそっぽを向かれるようになって、創価学会は進むべき方向を見失っているのではないか。今こそ、牧口の任侠精神を再評価する必要があるのではないか。

ご意見・ご批判をいただければ幸いです。

http://blogs.yahoo.co.jp/bxr074650401

 

他の方はいかがでしょうか

 投稿者:てんてん  投稿日:2008年 6月21日(土)23時39分27秒
  熊田一雄さん はじめまして。

講談の影響というのは、ちょっと耳にした記憶がありません。面白いテーマだとは思いますが…。
柏崎、また小樽札幌、時代のなかでどれくらい講談との接点があったか。実証的な研究が必要だと思います。

性格のベースとなる幼少期の育ちについては、生誕地である柏崎という土地が、明治維新時にどのような立ち位置だったか、の影響を見る必要があるかもしれませんね。
http://ja.wikipedia.org/wiki/柏崎県

敗者の精神と講談の受容に、共通のものを措定できればという気もいたします。

あと戦時中の投獄の時期の差し入れ書籍には、講談ものは見えなかったようにも記憶しています。

大衆文化との近接性は、むしろ大衆文学の出版社もやっていた戸田城聖に見られるかもしれません。
股旅ものの子母沢寛との交遊は知られているところですし、戦後も吉川英治の『三国志』を青年部の教材にしていますから。

他の方のご意見もうかがってみたいものです。
 

牧口常三郎と幡随院長兵衛

 投稿者:熊田一雄  投稿日:2008年 6月21日(土)10時47分18秒
編集済
  はじめまして。熊田と申します。愛知学院大学で宗教学を教えています。

牧口常三郎に強い興味をもっています。牧口の「弱きを助け、強きを挫く」強烈な反骨精神の背後には、明治の講談文化で人気があった侠客もの、特に「幡随院長兵衛もの」の影響があったのではないでしょうか?ご教示いただければ幸甚です。

熊田一雄(愛知学院大学文学部宗教文化学科准教授)

http://blogs.yahoo.co.jp/bxr074650401

 

25日発売

 投稿者:てんてん  投稿日:2008年 6月20日(金)10時41分40秒
  ながらく書き込みも、お礼もせずに失礼いたしました。

三一書房さんのHPで上巻は25日に発売との情報です。

新潟柏崎の牧口記念館の展示がリニューアルされたとのことなので、この夏には行ってみたいなと思っています。
 

庶民烈伝を読了して 8(完)

 投稿者:りゅう  投稿日:2008年 6月13日(金)23時14分49秒
編集済
  「聞書・庶民烈伝」を読む 8(完)

管理人・てんてん様
 また、おじゃまします。

 さて、“31”殿。ご本家サイトに先駆けての復刊本・表紙画像の紹介、ありがたく拝見しました。

 昨年の三月、偶然のきっかけで再会した竹中氏の原著作を、発刊後20年を経てようやく読了し、己の無知に恥じ入りつつも、心ある「憂国の士(?)」にはぜひ関心を持って欲しいものと、当掲示板を拝借してそのエッセンスを書きとどめてきました。
 それからほぼ一年。このように、復刊の日の目を現実にみるということは、何か不思議なる縁(えにし)をおぼえてなりません。


 ところで、文芸評論家・井家上隆幸氏は、竹中氏没後に刊行された『黒旗水滸伝』の解説文中で、竹中流ルポルタージュへのかまびすしい批判に対し、次のように述べ、弁護を買って出ています。

【――竹中労の資料理解は恣意的だとか、事実関係にまちがいがあるといった批判をよく聞く。―中略― だが、〔小説・巷談でどこが悪い? あたくしまさに、“稗史”を書いているんで、既成の左翼文献なんぞにはハナもひっかけぬ心意気〕と、竹中労はあざやかな啖呵を切ってみせる。
 これは強がりでもなんでもない。アカデミックな「正史」ではなく、時代を生きて呼吸した人びとの息づかいを想いに身をよせること、すなわち「稗史」をえがくことで、不当に差別されて「正史」に名をとどめぬ人びとの復権、それこそが竹中労がライフワークとしたものなのだ。――】〈同書下巻より原文のママ〉

 まさしく、「稗史」に生きた庶民と「同生共死」したのが、竹中氏自身だったのでしょう。

 願わくは、竹中ファンのみならず、「学会ではなく、学会員庶民衆生に依拠して私は、信仰の原点を見すえようとし」(原著)たといって憚らない、竹中氏の想いに、その心に、一人でも多くの現会員が邂逅されんことを。


管理人様。 このテーマでの投稿は、これにてひとまず終了といたします。長らくお世話になりました。 りゅう 拝
 

お待たせいたしました

 投稿者:31  投稿日:2008年 6月11日(水)11時27分32秒
  本当にお待たせいたしました。聞書 庶民烈伝、上巻は6月最終週から7月第一週に、下巻は翌月末に発売いたします。

http://www.san-ichi.co.jp/index.shtml

 

以上は、新着順21番目から40番目までの記事です。 1  2  3  4  5  6  7  8  9  10  |  《前のページ |  次のページ》 
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