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戸田先生のレコードのジャケ裏(8)

 投稿者:ガンゾウ  投稿日:2004年 9月18日(土)07時37分39秒
  瑞相御書(日蓮大聖人御書全集一一四〇蓮

 この瑞相御書の講義は、関西における一般講義の一つとし
て、昭和三十一年五月十五日(火)午後六時半から約一時間
にわたって、大阪市中之島公会堂で行なわれたものである。
 昭和三十一年三月二十九日に、第六十五世日淳上人が
ご登座遊ばされ、四月二十日から十日間、お代替わり慶祝法
要に、七万人が総登山した。時あたかも広布の瑞相か、総本
山大石寺に不思議な清水が出て、待望の水道工事が完成し、
五月十三日には「水道まつり」が盛大に行なわれた。
 また、七月には参議院の選挙を控え、王仏冥合の実現に
約四十万世帯の学会員が、火の玉となって折伏に邁進してい
た。なかんずく関西では、この四、五月ごろ、一支部で一万
世帯を突破する折伏が続いた。この大闘争が魔を呼びおこ
し、五月十四日、前年の蓮華寺事件等を取りあげた大
阪府警の弾圧事件がおこった。このような選挙妨害としか思
えぬ暴挙があった城西が当時の背景となっている。
 戸田先生はこの講義のなかで、御書を通して地動瑞を生命
論の立場からくわしくお述べになっている。更に一年前の無
実の事件をとりあげ学会を弾圧する大阪府警や 事実をまげ
て虚報する二、三流新聞の暴挙を「これこそ末法の衆生
が悪人であるという瑞相の一つだ」とはげしく指摘されてい
る。
 また「日蓮大聖人の仏法を奉じて邪宗邪義を破るゆえに、
オンシツや迫害が多いのは当然だ。いかに学会をにくもう
と、おとしいれようと、だれびとが騒ごうと、かれらは野良
犬のごときもの、われらは獅子王だ。獅子王の子が野良犬
を恐れて何としようぞ」
「邪宗邪義があるから日本国が不幸になる。これは大聖人
のおおせであって、学会の発明ではない。いっさいの邪宗を
粉砕して国立戒壇が建立されれば、それまでおこっていた、
いかなる苦難も、ピタッと止まってしまう」と、確信にあふ
れた大獅子吼の講義であった。

   本抄の大意
 本書は建治元年、日蓮大聖人が五十四歳の御時、身延山で
ご術作になったもので、四条金吾殿に与えられたといわれて
いる。
 仏法上、大法が興る時には必ず大きな瑞相がある。釈迦仏
法でも爾前経、法華経の序品、述門、本門と、教法が高くな
るほど瑞相も大きく、とりわけ法華経神力品の大瑞こそ釈迦
在世中の最勝であり、三大秘法の御本尊が末法に流布すべき
大祥瑞である。
 これらから考えて、正嘉、文永の恐るべき天変地夭は、謗
法邪師によることはもちろんであるが、日蓮大聖人の仏法が
釈迦仏法より大いにすぐれた大白法として、ひろまる大祥瑞
であることを明示されている。

                 昭和三十五年六月刊行

*ワープロで清書しなければと思い続けていましたが、
お役に立つ人がいて幸いです。
先日の訂正です。刊行順が先なので、こちらが
「第八回刊行、御書講義の部№6」にあたるようです。
カセットテープにはそう書いてありました。
 

ガンゾウさんへ

 投稿者:小野不一  投稿日:2004年 9月17日(金)07時27分12秒
   ガンゾウさん、初めまして。興味深い記述を拝見しました。

 丁度、以下で紹介した指導の年月日を探していたところです。
 http://macky.nifty.com/cgi-bin/bndisp.cgi?M-ID=sokadb&FN=20040916080015

 諸天善神としか言いようがありません。

http://soka.8oji.net/index.php

 

戸田先生のレコードのジャケ裏(7)

 投稿者:ガンゾウ  投稿日:2004年 9月17日(金)00時09分21秒
   A面のはじめには、三大秘法抄のおわりの方、御書一〇二三ページ八行
目の「問う一念三千の正しき証文如何」より、最後までの講義を、収
録した。
 これは三大秘法抄の講義が一時間十分にわたったためで、第六回既
刊の「御書講義の部 №4」には三大秘法抄のはじめから御書一
〇二三ページ七行目の「色も替らぬ寿量品の事の三大事なり」までの講義
が、収録されている。
                    昭和三十五年四月刊行

*以上を昨夜の「第七回刊行、御書講義の部№5」に付け加えてください。
以下は(たぶん)「第八回刊行、御書講義の部№6」です*   


   華菓成就御書/別当御房御返事/寂日房御書

 この三つの御書の講義は昭和三十二年二月八日(金)午後
六時三十分から、一時間余にわたって、豊島公会堂で行なわ
れたものである。前年十二月には、じつに五万八千世帯とい
う大折伏をし、ついに目標の五十万世帯を達成した。この破
竹の勢いで迎えた昭和三十二年は、年頭に“楽しい信心”
“楽しい折伏”“楽しい教学”の三項目をかかげ、いよいよ
戸田城聖先生の願業たる七十五万世帯完遂をめざしてスター
トした年である。また一月十八日には法華本門大講堂建立
の吉瑞として、鎌倉時代の古銭二千枚が、総本山の工事現場
から発掘されたのであった。


   華菓成就御書(日蓮大聖人御書全集九〇〇蓮
 この御書の対告衆である浄顕房と義浄房は、ともに清澄山
時代の大聖人様の法兄である。外面的には因習にしばられ、
改宗するまでにはいたらなかったが、大聖人様の教えに傾倒
し、御本尊も授けられている。また建長五年四月二十八日、
立宗ご宣言の当日、地頭東条景信の毒刃から大聖人様をお守
り申しあげ、無事に清澄山を降りられるよう活躍したのであ
った。
 この御書は弘安元年四月、旧師道善房の三回忌に、浄顕、
義浄の二人が、道善房死去の際に、大聖人様から送られた報
恩抄を「嵩が森」で読まれたことを喜ばれて、二人にあてて
送られた御書である。そして、旧師を大地に、大聖人ご自身
を草木にたとえて、その報恩の念を示され、末法の御本仏で
ある大聖人様と師弟関係の縁を結ばれたことにより、道善房
が救われるのであるとおおせになっている。  


   別当御房御返事(日蓮大聖人御書全集九〇一蓮
 清澄寺の別当御房(義浄房ではないかともいわれている
が)にあてた返事で、身延山においでになる大聖人様にた
びたび御供養をさしあげたのに対し、そんなに御供養を
気にかける必要はないと述べられている。そして、日蓮はた
だひたすらに一切衆生を救うのが大眼目であり、日本国はい
うにおよばず、朝鮮、中国にまで南無妙法蓮華経を流布せし
め、法華経に高名をたてるのであるとおおせられている。


   寂日房御書(日蓮大聖人御書全集九〇二蓮
「文永の役」についで、再度訪れた「元」の使節を、時の
執権北条時宗は、これを博多浜辺に切った。本書はその弘安
二年九月、本門戒壇の一閻浮提総与の大御本尊様ご出現の直
前、はるか身延の山中から、二十一歳の青年僧、寂日房に賜
わったものである。「日蓮は日本第一の法華経の行者なり」
と末法御本仏様であることをお述べになり「日蓮」と名のる
ことに、すでに重大な因縁があるとお説きになっている。
 そして「かかる者の弟子檀那とならん人人は宿縁ふかしと
思うて日蓮と同じく法華経を弘むべきなり、法華経の行者と
いはれぬる事はや不祥なりまぬかれがたき身なり」と。大聖
人の弟子檀那と名のる人は、同じく法華経を広むべきである
とご命令になり、この御本尊を信じて、成仏せよと励まされ
ている。

                 昭和三十五年七月刊行

*(「弟子檀那」ということについて以下、独り言)
戸田先生は牧口先生の獄死を想う度に激高された、といいますが、
「軍部政府の不当な仕打ち」よりも、宗門の裏切りと残った弟子の不甲斐なさ
に対するものでなかったでしょうか。また立宗七百年祭の折、吊し上げた小笠原慈聞
(小説では笠原慈光)が「狸祭りだな」と放言したのも、僧侶が信徒を騙し、食い物にしてきた歴史を「七百年」と誇っていると自嘲したのでないでしょうか。同根だからこそ宗門は遡って僧籍に加えてまで小笠原慈聞をかばい、現場にいなかった戸田先生を「登山停止」までしたのでしょう。*
 

戸田先生のレコードのジャケ裏(6)

 投稿者:ガンゾウ  投稿日:2004年 9月15日(水)21時09分50秒
  *前回、件名を忘れて申し訳ありません。以下は
「第七回刊行、御書講義の部№5」にあたります

   経王殿御返事(日蓮大聖人御書全集一一二四蓮

 この経王殿御返事の講義は、関西における一般講義の一つ
として、昭和三十二年七月十八日(木)午後六時半から、約
一時間にわたって、大阪市中之島公会堂で行なわれたもので
ある。
 昭和三十二年五月に大阪参院補選があり、七月には大阪事
件がぼっ発し、東京大会、大阪大会等が開催された。さかの
ぼって六月には北海道に炭労問題が起こり、三類の強敵が競
い起こっていた。この時に事件の本拠、大阪で大会の翌日、
きびしいふんい気のなかで行なわれたものである。

   本抄の大意
 このお手紙は、日蓮大聖人が五十二歳の御時、文永十年八
月十五日に佐渡の地から四条中務三郎左衛門尉頼基の幼子、
経王殿にくださったものである。
 通称、四条金吾殿は、竜の口法難の際、大聖人の馬の口に
とりすがり殉死の覚悟でお伴したほどの強信者である。北条
の支族江馬氏の忠臣で武道、医道に通達していた。直情径行
な性質で、同輩を強折して苦境にたったが、所領・身命をな
げうって主家をいさめ、至誠が通じかえって所領を増した。
 短い御書ながら、きわめて重要な信心指導がのべられて
いる。「日蓮が魂を墨に染め流して書きて候ぞ信じさせ給へ」
と御本尊の大功徳を力強く御教示である。さらに、もった
いなくも、経王御前の病の祈りも、いかなる祈りも、強盛な
信心によって「何事か成就せざるべき」とおおせである。

 付 質問会の内容

一、現在、人によって違う信心の強弱は過去世における信
  心の強弱によるのでしょうか。
二、五年前にメチールをのんで目が見えなくなりました。左
  目がちょっと見えるだけです。見えるようになりますか。
三、万年救護の御本尊と一閻浮提総与の御本尊様の違いを
  説明してください。
四、釈迦滅後四千年以降を末法だという人がいますが、ほん
  とうでしょうか。
五、大講堂の供養をするため登山をのばしたいと思います
  が、どうでしょうか。
六、盆踊りは信心と関係なくやってもよろしいでしょうか。
七、「罪を憎んで人を憎まず」のコトワザと「正法を誹謗す
  るものは無間地獄におちる」という聖祖のお教えと、ど
  ちらが正しいのですか。

*講義の中で戸田先生は「大聖人がここまでおっしゃるのだから、
私の体験からしても、必ず平癒したものと確信する!」と言われます。
(蛇足ながら、四条金吾はのちにp1163「とのは子なし」と言われますが、
これは「頼もしい、成人した後継ぎがいない」という意味で
経王殿がなくなったとはかぎらないそうです。
昔はこどもは、死亡率が高く、成人するとあてにしないものだったということ。)
*質問の一、には「過去世までいかなくても、世間でも勉強する人としない人の違いがあるでしょう」と明解。
五、「登山会の費用をご供養に宛てた方がよいか」
という突飛な質問ですが、先生は諄々と登山の功徳を説かれます。
七、は『人間革命』にも出てきますが、大阪事件の犯人たちを除名にして
それ以上にできないかといったところで「除名ほど恐ろしいものはないんだぞ、
除名喰らってまともな生活が出来たらお目にかかる」と言ってのけます。
おもうに、それだけ言っても一つの「講」であったうちはよかったですけど、
唯一の正義の団体となると世間の罪では除名できないのではないか悩ましい。(以上二行独り言です)
 

(無題)

 投稿者:ガンゾウ  投稿日:2004年 9月14日(火)07時40分27秒
  三大秘法稟承事(「ぽんじょうのこと」)(日蓮大聖人御書全集一〇二一蓮
 
 この三大秘法稟承事の講義は、関西における一般講義の一
つとして、昭和三十一年四月十日(火)午後六時半から、約
一時間十分にわたって、大阪中之島公会堂で行なわれたも
のである。
 昭和三十一年七月に参議院の選挙をひかえ、王仏冥合の実
現に約四十万世帯の学会員が、火の玉となって折伏に邁進し
ていた時であった。なかんずく関西では、この四、五月ごろ
一万世帯を突破する折伏が続いた。
 こうしたきびしい闘争のなかに「王仏冥合、すなわち政治
と宗教の一致を実現し、国立戒壇を建立せよ」との日蓮大聖
人の末弟子に対する御命令をしたためられた本抄の講義が行
なわれ、会長戸田城聖先生の大確信あふれるこの獅子吼は、
関西の学会員をいやがうえにも奮起させ、勝利の一大原因と
なったのである。
 なお本抄については、大白蓮華第七号〜第十七号に「三大
秘法抄拝読」という講義を堀米日淳上人が御執筆になられ、
同じく大白蓮華第六十一号に「三大秘法抄を拝し奉る」とい
う論文を戸田先生みずから御執筆になっておられる。

   本抄の大意
 一般には「三大秘法抄」とも略称され、日蓮大聖人御一代
を通じて、もっとも重要な御書の一つである。宗祖が六十歳
の御時、御入滅の前年にあたる弘安四年四月八日、身延の山
中より下総の大田金吾殿に与えられた。
 三代秘法を整足して御説明があり、本門戒壇の内容につい
てくわしい御教示があるのは本抄だけであり、実に御一代化
導の大綱を示された御書である。ゆえに宗祖日蓮大聖人の御書を
拝するには、第一に本抄を拝して大綱を了解したてまつり、
後に他の御書を拝するのでなければ、大聖人の御本意を誤る
とまでいわれている。
 ところが、邪宗日蓮宗のなかには、本抄を大聖人の御真選
ではないという説があったが、ごく一部の者を除いて、ほと
んど疑書説は影をひそめている。大二祖日興上人いらい、正
しく本抄を拝し実践につとめてきたのは、まったく日蓮正宗
のみである。
 さらに「一見の後、秘して他見有る可からず」と申され末
弟子に下された「王仏冥合・戒壇建立」の御遺命を体して、
その実現にバク進しているのは創価学会のみであり、会長戸
田城聖先生は大論文「王仏冥合論」にその具体的実践をおし
たためである。

 三大秘法抄の講義は、一時間十分にわたるもので、後半の一部は、
第七回刊行の「御書講義の部、№5」のA面に収録することにした。
したがって「御書講義の部、№4」には、三大秘法抄のはじめから
御書一〇二三ページ七行の「色も替らぬ寿量品の事の三大事なり」ま
での講義を収め、次回には同八行目の「問う一念三千の正しき証文如
何」より最後までの講義を収録することにした。

               昭和三十五年七月刊行

*私の母もその年入信し、翌年なかごろ、先に入信していた義兄から大白蓮華の
バックナンバーを一揃い借りてきて、連載されていた湊泰三「小説・日蓮大聖人
」を読んだだけで「任用試験」に合格したというのですが、物語はどこまで進ん
でいたでしょうね。「出世の本懐」までは行ってなかったはずですが。
なお、いまさらHN替えられませんがガンゾウは贋造ではありません。
「雁蔵」とでもおもっていただくよう、おねがいします。
 

ガンゾウさま 創価教育学会の人数

 投稿者:てんてん  投稿日:2004年 9月14日(火)00時33分35秒
  レスが遅くなって申し訳ありません。連日の力の入った書き込みありがとうございます。
二反長半さんには『若き池田大作』という著作がありますね。

厳密な会員規定に基づいて記録されていたのかどうかはわかりませんが、
創価学会45年史『革命の大河』から人数がかかれているものを
抜き書きしました。


昭和9年 教育者のグループ 総数八十人

昭和12年 初めての会員名簿 百人
昭和14年 暮れの総会 五十数名

昭和15年 会員数 五百名を超える
総会   参加者 三百余名
 
昭和16年 価値創造の発行部数 約1千部
     会員数 二千人

昭和17年 第4回総会 四百人
     第5回総会 六百人

昭和18年 5月 第6回総会 七百人
「牧口門下三千人と呼ばれた最盛期の総会」

となっています。他の資料にもあたりたいのですが、私事多忙につき、
しばらくお待ち下さい。ご参考まで。
 

二反長半(にたんおさ なかば)氏の出会い

 投稿者:ガンゾウ  投稿日:2004年 9月13日(月)12時35分7秒
  『人間へのめざめ ―なぜ私は日蓮正宗創価学会に入ったか』
大原照久;編 
大阪書店 1970年4月20日
 
「まえがき」、46人の人生体験、「東京大学法華経研究会」「ヤングパワー」「海外メンバー16カ国16人」の三題の座談会、を収録していますが、
その体験集の初めの方につぎのような記事があります。(63頁) 

二反長半(にたんおさ なかば)氏、62歳
作家・児童文芸家協会常任理事

「(戦争直後)…。そのとき、近くの医者にかかると、この医者は、創価学会に入ることを私に勧めた。
『医者が、こんなことをいうのはおかしいようだが、私は真剣だ。会長は戸田城聖というひとで』と付け加えた。私はその会長の名をどこかで聞いたような気がした。そのときは思い出せなくて、数日後、やっと思い出した。昭和十七年、私は、戸田前会長が城外という名で、日本正学館という出版社をやり、異色を放っておられたころ、そこから『少国民錬成文庫』全三巻を、フランス文学者、作家の豊島与志雄氏と共編で出版してもらっている。『輝く国』『輝く人』『輝く文学』というものだ。これは戦争が激烈になり、『輝く国』一巻のみの刊行で終わったが、二冊だけ保有し持っていた。この社長・戸田城外氏が戸田城聖前会長と同一人だったのだ。私は体がふるえるほど驚いた。もちろん先生が出版社経営のかたわら日蓮正宗を流布されていたことは、戦時中から知っていた。だが、すっかり忘れていたのだ。創価学会という名が耳新しかったのかもしれない。
 私が日本正学館と関係のあったころ、Wという編集者が私の係りで、出版の用事できては日蓮正宗の偉大さを話していった。しかし、そのころ不思議に元気だった私は、宗教と文学とは別のものだと思っていた。(中略)
 (昭和40年)私は、戦時中、戸田前会長に出してもらった『輝く国』のことをまた思い出し、それを持って、潮出版社の『希望の友』編集部を訪れた。編集部のMさんが会ってくださった。Mさんは、『輝く国』を見て、奇縁に驚かれ、病みあがりの私に、それならと、学会の生命哲学を説いてくださった。私は感動した。私はその日に入信した。(以下略)」

(編者紹介)昭和17年 上海に生まれる
昭和40年 広島大学教育学部卒業
 同年   聖教新聞社に入社
 現在   同社日曜特集部部長 現代マスコミ研究会員 東洋思想研究所員

 

戸田先生のレコードのジャケ裏(4)

 投稿者:ガンゾウ  投稿日:2004年 9月 8日(水)20時52分55秒
     聖人御難事

 この聖人御難事の講義は、戸田先生の最後の一般講義とな
った意義深いものである。昭和三十二年十一月十五日(金)
午後六時半から、約二十七分にわたって、東京品川公会堂で
行われた。講義後、約四十一分質問会がもたれた。   当
日は十一月十三日、十四日、十五日の三日間、東京、大阪、
神奈川でブロック活動が行われた最終日で、この御書講義
は、今まで、あまり戸田先生の講義を聞く機会の少かった、
初信の人を対象として、入場券を各ブロックに配布して行な
われたものである。
 講義は同抄の一一八九頁七行目の「釈迦如来の大難はかず
をしらず……大石の頂にかかけし」で終わって、あとは質問
会になっている。しかし、同抄の中で、もっとも大事な日蓮
大聖人様が立宗いらい二十七年にして出世の御本懐をおとげ
になり本門戒壇の大御本尊様を御建立遊ばれた点について及
び、日蓮正宗の唯一正義、第二祖日興上人の御本尊書写、本
門戒壇の大御本尊様の大功徳等、信心第一の講義であった。

 聖人御難事は日興上人の熱烈な大折伏によって、弘安二
年九月、熱原法難がおこったとき、十月一日に門弟一同に対
し、出世の御本懐をとげられたることを明示され、さらに大
難に恐れず獅子王のごとく奮い起てと激励された御書であ
る。
 なお同抄については大白蓮華六十号(昭和三十一年五
月一日発行)に、「聖人御難事御書を拝して」という論文を、
戸田先生みずから御執筆になっておられる。

 附 質問会の内容
一、日蓮大聖人様は仏様なのに、どうして難を受けられた
  のでしょうか。
二、御本尊様の両脇にお認めの模様のようなお文字は、な
  んでしょうか(愛染明王と不動明王のこと)
三、座談会や折伏に出ると反対する女房をどうしたら信
  心させられますか
四、御本尊様に向わず仕事しながら題目を唱えても、功徳
  を受けられるでしょうか。
五、私が折伏した人が御本尊をお粗末にしたが、私に、
  どういう罰がありますか。
六、空とはエネルギーであると解釈している人があります
  が、どういうものでしょうか。
七、邪宗日蓮宗の題目にも功徳がありますか。
八、今お聞きした空論について、先生がくわしくお書きに
  なったものがあったら教えて下さい。
九、昼、仕事の最中にお客様を折伏してよいものでしょ
  うか。
                  
               昭和三十四年十一月刊行

*三の質問に答えて「これは簡単だな、カネ持って帰れ!」と言われました。
「でも持って帰っているんですが」という返事も面白い。
「持って帰っているんなら、まず一年だな」(一念?)
『質問会集』にあるか、こんど探しておきます。*
*最後に戸田先生が「各自の家にある御本尊を思い浮かべるように」と言って
みんなで題目三唱します。*
 

戸田先生のレコードのジャケ裏(3)

 投稿者:ガンゾウ  投稿日:2004年 9月 8日(水)07時38分38秒
  *御書学習会の教材だった顕仏未来記を先に採りました*

  顕仏未来記

 この顕仏未来記の講義は、昭和三十一年一月十七日(火)
午後六時三十分から一時間余にわたって大阪市中之島中央
公会堂で行なわれたものの一部である。
 昭和三十年いっぱいに三十万世帯の陣容を整えた学会は、
さらに五十万世帯めざして、いっそうの本尊流布に突き進
んだのであった。このめざましい学会ばく進の大きな推進力
になっていた西日本広布の牙城にも昭和三十年十二月十三日
にはすでにりっぱな関西本部の完成を見た。そして、昭和三
十一年一月からは本格的な本部指導も行なわれるようになっ
た。この一環として、念願であり、関西方面学会員のひとしく
待望していた戸田先生の一般講義(御書)一級講義(方便寿
量)も毎月、定期的に実施されるようになったのであった。
 このレコードには御書全集の五百七ページ七行目の「彼の土に
広宣流布し一国の杖木等の大難を招きしが如し」から、さい
ごまでの講義が収められている。

   顕仏未来記(日蓮大聖人御書全集五〇五ページ)
 此の御抄は、日蓮大聖人が佐渡ご流罪中の文永十年五月十
一日の御書であり、御本仏としての大確信が脈々と全編にあ
ふれている。顕仏未来記とは、仏の未来記を顕すとのこと
で、一応は印度の釈迦が末法出現の仏の予言者としての未
来記であり、大聖人が顕わされたことになる。しかし、再応
*不明、一行欠?*
 戸田先生は本抄を通して「成仏の境涯は絶対の幸福境であ
る。なにものにもおかされず、なにものをもおそれず、瞬間
瞬間の生命が澄みきった大海のごとく、雲一片なき虚空のご
ときものである。この境涯が大聖人の佐渡ご流罪中のご境涯
である」と。*不明、末尾欠?*
 また「月は西より出でて東を照らし日は東より出でて西を照
らす仏法も又以て是の如し正像には西より東に向い末法には
東より西に往く」との有名な東洋広布の文は本抄にある。

 付 質問会

一、なくなったおじいさんやおばあさんに追善供養をし
  ているが、今世に生まれてきてしまっていたならば、
  その追善供養したのはどうなるか。また生まれてし
  まった人には追善供養は必要ないのではないか。
二、「中国やインドに仏様はいない、仏教はない」とい
  うのはどうも納得しかねるが。
三、勤行のとき、どうして方便品のさいご、十如是のとこ
  ろを三回繰り返すのか。
四、入信を決意した人がご本尊をいただくまでの間、東
  の方を向いてお題目を唱える。また朝の勤行のとき
  初座で東を向いてお題目をあげるが、この両者のちが
  いを説明してください。
  
           (昭和三十五年十二月刊行)

*録音を聞いていると、質問の「二」に答えて
戸田先生が「日が出れば月は隠れる、大聖人が出て
他に仏があるわけないじゃないか!」というと大拍手が
おこります*
 

戸田先生のレコードのジャケ裏(2)

 投稿者:ガンゾウ  投稿日:2004年 9月 6日(月)02時59分47秒
  私の父は大阪生まれ大阪育ちですが、
戸田先生の葬儀ではじめて夜行で
東京へ行って、
ついでに長島茂雄のデビュー、
四月四日巨人国鉄戦を見て帰ったそうです。


   治病大小権実違目(日蓮大聖人御書全集九九五頁)
 
 治病大小権実違目の講義は昭和三十二年十月十一日(金)
午後六時半から、約四十七分にわたって、東京豊島公会堂で
行われたものである。
 戸田先生の御書講義は、この治病抄のあと十一月に行なわ
れた聖人御難事を最後とされているので、この講義が最後か
ら二番目の講義となった。当時戸田先生はかなりはげしい疲
労を押して会員のために講義をなされたのである。講義は同
抄の約三分の一(二段目の「劣応・勝応・報身・法身異れど
も始終の辺は同じきぞかし」まで)で終っている。しかし、
その内容は、そのあとの質問会で先生自らもお述べになって
いる通り、三身即一身の境涯そのままで、話を進められてお
り、特に仏法の大哲理を自在に駆使され、現代社会の動向を
説き明かされているあたりは、未来永劫にわたっての大指導原
理とも拝され、貴重な講義の一つである。
 なおこの治病抄講義全体については翌三十三年二月及び
四月の一般講義で小平教学部長が代講した(大白蓮華八十二、
八十四号参照)

    本抄の大意
 この御書は弘安五年六月、下総中山の富木入道にあて賜わ
ったもので、日本国中にいよいよ盛んになっている疫病につ
いて、その起こる原因を明し、治病の方法を仏法の上から説
かれると共に、文底独一本門の大法を示された御書である。
 その大要は、まず病には身の病と心の病があり、身の病は
医学で治すこともできるが、三毒八万四千の心の病は仏法に
よる以外ない。ところが仏法のなかにも小乗教あり、大乗教
あり、権教あり、実教ありとさまざまである。そのなかで今
末法では、どの法門によらなければならないかについて、五
重の相対をもって文底独一本門の大法によらなければ治する
ことができないゆえんを明されている。
 更に三災七難の問題に及び、末法の法華経の行者をあだむ
ゆえに起こるとその根本原因を示され、これをもって日蓮大
聖人の御本仏たることを明かされている。また最後に、天台の
理の一念三千と日蓮大聖人の事の一念三千と天地雲泥の相違
があるとの重要な法門を述べられ、末法下種の三大秘法の立
場を明示しておられる。

 附 質問会の内容
一、三身即一身の境涯とはわれわれの生活でどのようなこと
  をいうのでしょうか。
二、ソ連で打ち上げた人工衛星は、仏法上からどう見たらよ
  いのでしょうか。
三、われわれは久遠の本眷族*ママ*だと聞いていますが、久遠で成
  仏できなかったのでしょうか。
 

戸田先生のレコードのジャケット裏

 投稿者:ガンゾウ  投稿日:2004年 9月 5日(日)01時45分57秒
  戸田先生のレコードのジャケット裏、持ってはいませんが
昔、筆写したのがあったので送ります。もとは縦書きと思いますが
字配りもできるだけ同じにしました。(筆写間違いはあり得ます)
なくしたのもありますが、まだあるので出来るだけまた送ります。
 
 御書講義について

 会長戸田城聖先生が日蓮大聖人の御書を拝する御態度は、
自らものべられているように、「これを敬い、これに親しむ
こと天日を拝するが如く」であられた。そして、大聖人の御
金言を実現する広宣流布への大確信と、民衆救済の大慈悲と
は、そのまま大獅子吼の講義として、実に学会前進の一大源
泉となったのである。 即ち、昭和廿六年五月、会長就任以
来、この御書講義は毎週金曜日、一日も欠かすことなく続け
られた。初めは西神田の旧本部八畳、六畳の二間が会場で、
約五十人位の人が講義を受けていた。テキストは毎月発行の
大白蓮華に数編ずつ掲載された御書であり、現在の教学部の
幹部はこの中で育ったのである。
 「学会の誇るべきものは教学である」との先生の御精神を
受けて、学会員の教学に対する意欲はとみに高まり、先生の
講義を求めて集まる人数は、学会の発展と共にふえ、旧本部
は階下まで埋まり、講義会場は神田教育会館、市ヶ谷家政学
院講堂と次々に移された。やがて約二千名を収容出来る豊島
公会堂が池袋に出来、ここが常設講義会場として使用される
ようになった。そのほか大阪でも月一回、短期間ではあった
が定期的な御書講義がもたれたし、地方指導、夏季講習会の
折などにも行われていた。 この講義は受講資格に制限がな
く、入信直後の初信の人でも聴くことが出来たし、全国で講
義を受けた学会員の数は数十万にのぼった。
 こうして、会長戸田城聖先生は、御書講義としては七年の
間に日蓮大聖人の御書の中、立正安国論、開目抄、観心本尊
抄等の五大部を始め、御消息文の大半と、その主要なものは
すべて講義されたのである。
*以上はすべての巻に共通*

 可延定業書は、この一般講義の一つとして、昭和丗二年九
月廿七日(金)午後六時半から、約一時間にわたって、東京
品川公会堂で行われたものである。 
 昭和丗二年といえば、会長戸田城聖先生は五十八才で、こ
の年の十一月には願業の七十五万世帯を達成された重要な年
である。なお、五月には大阪参議院補選あり、六月には北海道に
炭労問題が起こり、七月には大阪事件ぼっ発等々、三類の強
敵も粉然*(ママ)*と競い起っていた。更に九月には、青年部体育大会
で会長先生の原水爆問題に対する大宣言が発せられるなど、
特筆すべき事件も多い。
 この講義は、こうした時代のきびしいふん囲気の真只中で
行われたものである。

   可延定業書(日蓮大聖人御書全集九八五頁)

 このお手紙は、日蓮大聖人が五十八才の御時、弘安二年に
身延から下総の富木五郎左衛門尉胤継入道常忍の夫人に与え
られたものである。富木常忍は下総国若宮の領主で、建長四
年頃から大聖人に帰依、太田・曽野殿を折伏し、千葉方面の
布教と外護に尽された強信な方として知られている。
 同夫人は、富木殿と共に、信心に励み、夫の入信と共に剃
髪して尼となり、富木尼御前と称せられていた。その人とな
りは、温良貞淑で内助の功も大きく、姑への孝養のあついこ
とも、大聖人のおほめにあずかっている。 また子息の伊予
房日頂(六老僧の一人)を十六才で大聖人の門下に捧げ、弘
安二年の熱原の法難の時には、越後房・下野房達を下総に迎
えて愛護した話も伝えられている。また、この頃、尼御前自
身は病魔と斗っていたようである。
 そのような時にあたって賜った御書が、この可延定業書で
ある。定業(寿命)も信心によって延ばすことができると、
信心の上で御指導を賜り、御秘符の話もある。

 附 質問会の内容

一、霊山浄土という思想について教えて下さい。
二、手紙に南無妙法蓮華経と書いてよいでしょうか。
三、怪我で死んだのは定業でしょうか。
四、南無妙法蓮華経の五字七字というのはどういうわけです
  か。
五、邪宗教の曼陀羅でも南無妙法蓮華経 日蓮と書いてある
  のがあるでしょうか。
 

創價外蚯楞修砲弔い

 投稿者:ガンゾウ  投稿日:2004年 9月 3日(金)01時21分46秒
  熊谷一乗『牧口常三郎 −人と思想』を読んでいます。
思い出したのですが、20年ほど前、聖教新聞の「サンデー対談」で明治大学ラグビー部監督(当時)の北島氏が出席し牧口先生の
思い出を語りました。「靖国神社に行っちゃいかん!」と言われた
とのことですが、つまりは折伏されたということでしょうか。
牧口先生の信念は偉大ですが、逮捕されたのも同志には「ああやっぱり」
でなかったでしょうか。
宗門との会見の直後、捕縛されたのも「売られた」、つまり宗門側が官憲に
「手に負えませんから好きにしてください」と通告した疑いが濃厚です。
ところで上記の本ですが巻末の「創價外蚯楞週約要項」第3章「組織」第7條
「本曾は左記三種の曾員を以て組織す
一、正曾員(日蓮正宗の信徒にして、一ヶ年に二名以上の折伏教化をなし、本曾の事業に努力する者)
二、準会員(日蓮正宗の信徒にして、一ヶ年に二名の折伏教化が出来ない者)
三、特別曾員(國家の指導階級に居る者にして、本曾の事業に精神的・物質的に特別なる協力をなす者にして、曾長の推薦に依り決定す)」
(昭和一六年八月二十日『価値創造』第二号)
という会員規定はいかにも厳しいようですが?
正会員は何名ぐらい居たのでしょう?
 

記憶のために

 投稿者:ガンゾウ  投稿日:2004年 9月 3日(金)00時48分14秒
  昨夜、大正生まれの壮年の方を家庭訪問しました。
大阪で昭和31年入信し、戸田先生の中之島公会堂での月一回の御書講義には欠かさず参加していたそうです。
御書は当時としては2000円は高価で、持っている人も少なく、月掛けで200円づつの貯金をしていましたが、(組織でしていたようですがどんな単位かは
不明)(住所は東住吉区、現在は平野区の地域ですが八尾支部だったそうです)
それが千円になったとき、「あとは戸田先生が出してくれて」御書が買えたそうです。
今もその御書を持っているそうです。
戸田先生の関西の同志へのプレゼントだったのでしょうか?
 

夏季大学講座

 投稿者:てんてん  投稿日:2004年 8月10日(火)10時22分5秒
  創価大学の夏季大学講座から、牧口、戸田関係の講座がなくなってしまいました。
残念ですね。

京都にある立命館大学国際平和ミュージアムの常設展示のなかで、十五年戦争の戦時下の文化統制と動員をあつかったコーナーがあります。その中の実物展示の一つに、日本出版文化協会推薦図書目録のポスターがあります。
全部で28冊の図書が挙げられており、その中の一般の部 9冊のなかに、大道書房の『海援隊始末記』が含まれています。
なかなか当時の実物を見る機会もないでしょうから、京都観光の折は、足を伸ばしてみるのもよいかもしれません。

http://www.ritsumei.ac.jp/mng/er/wp-museum/
 

次の本を探しています

 投稿者:m_yoshi_99@函館  投稿日:2004年 8月 1日(日)13時27分43秒
  はじめまして。私は去年の9月に創価学会に入会した者です。
年齢52歳です。主にヤフー・オークションから昔の学会出版物を購入しています。

この場を借りて恐縮ですが、探求書のリストを掲載させていただきます。
心当たりの方はメールをください。よろしくお願い申し上げます。

以下の本を探しています。在庫がありましたらお知らせください。
ブックオフの100円コーナーで、たまに見つかることがあります。

1.創価学会出版物
池田大作「御書と四条金吾」第2・3巻 聖教新聞社
同「仏法 西と東」東洋哲学研究所
同「私の天台観」第三文明社
同「御義口伝講義」全7巻+索引 聖教文庫
同「人間と仏法を語る」12、14−18、21−27巻 聖教新聞社
同「会長講演集」7・10巻(赤い本)昭和30年代
仏法中道論 聖教新聞社
中本博「若き戸田城聖」第1巻 和光社、昭和49年
東洋学術研究別冊「仏教大学講座講義集」1・2・9・10巻 東洋哲学研究所
大白蓮華バックナンバー 1979年以前

2.その他
鶴見祐輔・訳「プルターク英雄伝」1・3・6巻(全8巻)潮文庫
鶴見祐輔「バイロン」潮文庫
鶴見祐輔「ディズレーリ」潮文庫


3.星新一著作集
新潮社
  生命のふしぎ(新潮社/59.09)

  星新一の作品集(全18巻)
 9.盗賊会社/午後の恐竜
16.殿様の日/城のなかの人
17.かぼちゃの馬車/夜のかくれんぼ
18.祖父小金井良精の記

その他の出版社
  悪魔のいる天国(中央公論社/61.12)
  花とひみつ(私家版/64.09)
  エヌ氏の遊園地(三一書房/66.02)
  宇宙の声(毎日新聞社/69.12)
  殺し屋ですのよ(未来プロモーション/69.12)
  はなとひみつ(フレーベル館/78.03)

翻訳書
  トマニ式生き方(エイプリル・ミュージック/78.10)

http://2.csx.jp/users/m_yoshix/

 

新着資料

 投稿者:てんてん  投稿日:2004年 6月30日(水)22時48分24秒
  山崎長吉『人間教育を結ぶ 北海道が育んだ牧口常三郎』北海タイムス社
はじめに
第一章 創価教育学体系構想の素地
第二章 創価教育学体系成立の環境条件
第三章 創価教育学大系の本質と社会
第四章 創価教育学大系出版後の反響
むすび 創価教育学大系の再発見

年表 牧口常三郎と北海道
主要参考文献

筆者は北海道の道立教育研究所研究室長をつとめ、牧口研究として第三文明社より『人間教育を拓く〜北海道の牧口常三郎』『人間教育を創る〜人生地理学と北海道』を第三文明社より出しています。
 

>てんてんさん 

 投稿者:Tom  投稿日:2004年 6月18日(金)04時53分47秒
  てんてんさんのおっしゃるとおりです。つまり過去に接続された回路は過去の奴隷となってしまい非常に危険です。先祖崇拝や葬式仏教は過去の世界に縛られた奴隷です。だから未来志向の回路が大事なのだとおもいます。過去に価値創造はできません。(こればっかりは絶対に出来ないとおもいます。)価値創造は現在→未来の事柄だからです。仏法では現当二世と説きますね。あきらかに葬式仏教は仏法の本義から逸脱しているというわけです。ゆえに牧口先生が価値創造を強調したことは非常に深い意味があると思います。結論てんてんさんのおっしゃるとおりです。

>鎌倉新仏教を日本における「宗教改革」と位置付ける論がかつて盛んであったが、これら鎌倉仏>教の祖師が生み出した「宗教改革」の萌芽は、けっきょく先祖信仰に回収されてしまったではな>いかといった主旨でした。
>日常的な生活世界に対する説得力を持とうとすることの危険性もまたあるのではないかと思うの>ですが如何でしょうか?
 

まとめてお返事御容赦下さい

 投稿者:てんてん  投稿日:2004年 6月14日(月)13時20分8秒
  レスが遅くなり申し訳ありません。

>卞氏 さん

>池田大作氏の年表は? 

との御質問ですが、本サイトは、牧口常三郎、戸田城聖に限定して(これだけでも手一杯で更新も滞っているのですが)つくっていますので、追加の予定はありません。
戸田城聖の原水爆禁止宣言の延長線上の問題として、創価学会の平和運動やSGI提言に関してはまとめたいという意欲はあるのですが、気長にお待ち下さい。

>_s_j_k_  さん
過去ログについてですが、teacupの投稿は、全てメールでバックアップできるはずなのですが、文字化けがあったりなどで、開設から1年分はどうやら残っていないようです。
テーマ別に整理した形でアップしたいですね。リクエストとして、リニューアルの際の企画として考えたいと思います。

>Tomさん 

宮田教授のエッセイの御紹介ありがとうございます。
先日、読売新聞に山折哲雄が、「日本に宗教改革はあったのか」というようなエッセイを寄せていたことを思い出しました。
鎌倉新仏教を日本における「宗教改革」と位置付ける論がかつて盛んであったが、これら鎌倉仏教の祖師が生み出した「宗教改革」の萌芽は、けっきょく先祖信仰に回収されてしまったではないかといった主旨でした。
日常的な生活世界に対する説得力を持とうとすることの危険性もまたあるのではないかと思うのですが如何でしょうか?

 

(無題)

 投稿者:Tom  投稿日:2004年 6月12日(土)13時06分43秒
  サーキットがなければ、ルールのない単なるカオスです。  

コメント

 投稿者:Tom  投稿日:2004年 6月12日(土)12時45分39秒
  「日常的な生活世界と究極的な意味世界を結ぶ回路の創造=説得性ある真理条件の提示にこそ宗教の存続の可能性がある。」の部分について

これは真実でしょう。生活世界と意味世界を接続するストーリーが構築されなければ、宗教は死んでしまうだけでしょう。
 

以上は、新着順161番目から180番目までの記事です。 3  4  5  6  7  8  9  10  11  12  |  《前のページ |  次のページ》 
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