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見たい

 投稿者:人間革命777  投稿日:2008年 5月11日(日)18時32分8秒
  レコードが25枚あったのですか?  

発心さんへ

 投稿者:ヒートウエーブ  投稿日:2008年 2月21日(木)12時22分38秒
  戸田城聖先生の教えのレコードは25枚です。全部手元にあるので詳細もわかります。
vigmouthstrikesagain@ezweb.ne.jp
 

発心さんへ

 投稿者:ヒートウエーブ  投稿日:2008年 2月20日(水)12時54分44秒
  戸田先生の教えのレコードは全部で25枚です。92年には非売品でCD化され、一部に配られました。
ご連絡いただければ、詳細はまとめてますから詳しく説明いたしますよ。
 

戸田先生のレコードについて

 投稿者:沖縄の加苦迷児  投稿日:2008年 2月 5日(火)21時47分43秒
   戸田先生のレコードについては、過去に、この掲示板で紹介されています。

 ・2004年 9月25日:小平芳平『創価学会』(昭和37年刊)より(その2)
  〜
 ・2004年 9月 5日:戸田先生のレコードのジャケット裏

 他にも、検索すれば見つかるかもしれませんね。
 

レコード、戸田城聖先生の教えについて

 投稿者:発心  投稿日:2008年 1月18日(金)01時45分55秒
  レコード、戸田城聖先生の教えについて、その発刊数、詳しい収録データを御存知の方、御教え下さい。  

庶民烈伝を読了して (番外3)

 投稿者:りゅう  投稿日:2007年11月29日(木)02時14分10秒
編集済
   11月8日付の聖教新聞5面に、「ひまわり讃歌」『佐渡広布に生きて半世紀』という体験談・取材記事が掲載されました。

 ここに紹介されている方は、25年前、竹中氏によって・聞書 庶民烈伝第一巻中(p146)にインタビューが収録された、伊藤キヨ子さん(現在85歳)、まさしくその人。
 写真を拝見すると、大勢の後継者に囲まれ、今尚お元気そうな様子で何よりだ。しかし、この記事の中でも竹中氏のことはいささかも触れられていない。取材時に当時のことが話題となったはずだが、執筆者は何故か無視を決め込んでいる。それとも単に無知なだけなのか。
 残念だが、ここは復刊に期待するしかない。

 それにしても、11月27日付の広告をみる限り、三一書房の担当者は、本掲示板を読んでくれているよう。
 とにかく、不測の事態が起こらずに無事発行されることを祈るばかり。
 

聖教新聞に広告が

 投稿者:てんてん  投稿日:2007年11月27日(火)19時35分31秒
  『庶民列伝』聖教新聞に広告が出ていました。12月刊行とのこと。  

情報,投稿ありがとうございます

 投稿者:てんてん  投稿日:2007年10月 1日(月)18時05分36秒
  ご無沙汰してしまって申し訳ありません。

『庶民列伝』ようやく三一書房のサイトで近刊予定との告知が出ましたね。
楽しみです。

http://www.san-ichi.co.jp/cgi-db/s_db/kensakuall.cgi?j1=CSNOW

 

聞書 庶民烈伝

 投稿者:偶ロム偶ログ  投稿日:2007年 8月20日(月)16時11分40秒
  復刊の出版社が三一書房になったようです。
上下2巻で各巻2800円。
吉田司氏の解説がつくようです。
出版時期は9月か10月。
連載時には大木道惠氏が資料協力していたのを懷かしく思い出します。
 

8.6 ヒロシマの日に

 投稿者:りゅう  投稿日:2007年 8月 6日(月)18時00分56秒
   管理人・てんてんさん。また、おじゃまします。

 今日・8月6日は、人類初の核爆弾が、多数の人間を殺傷する目的で、日本の広島上空において炸裂した日です。
 また、言うまでもなく、戸田城聖第二代会長の「原水爆禁止宣言」から、本年・9月8日で50周年になります。

 そこで、やや不鮮明ではありますが、歴史の一資料として、「宣言」の行われた『第四回 体育大会』当日の入場券を紹介します。原サイズは、約19.5×9.7cmです。
 注目すべきは、左側の半券部分。
 現在の学会・三色旗のモチーフが、このとき既に考えられ、用いられていたのです。


 原爆のみならず、すべての戦争犠牲者の方々の冥福を祈念しつつ。 合掌
 

庶民烈伝を読了して (番外2)

 投稿者:りゅう  投稿日:2007年 6月 4日(月)21時37分3秒
編集済
  「聞書 庶民烈伝」を読む (参考までに・番外編2)

 また竹中氏は、1983年・2月に、太田竜氏との対談で次のようにも語って学会にエール(?)を送っている。

【竹中 宗教とは何かというと、一つの側面からいうと、死者との契約であるわけですよ。だから、いつでも死んだ人たちがそばにいるわけです。小泉八雲の場合でいうと、お化けがいつも一緒にいる。】
  〔中略〕
【竹中 いつでもお化けが一緒にいる、生者・死者が共存している社会というのが、八雲のいった“蓬萊(ほうらい)の国”なんですよ。この半透明のね、常寂光土。モヤに包まれた蓬萊の国では、いつでも死者がすぐそばにいて、生きとし生けるものを見まもっている。】
  〔中略〕
【竹中 宗教は死者との契約だというのは、そこなんです。死んだ人間はね、生きた人間に裏切られても怒ることもできなければ、抗議することもできない。だから死者との約束は守んなきゃいけない、それが宗教の根本なんですよ。

 太田 靖国神社というのはね、本当に近代の天皇制体制の大黒柱です。死んだ人を全部ね、国家の統制の下に完全に囲い込もうというんだからね、逃がさないというイメージですよ。死んだ人まで鎖つけて、縛っておこうというんだから。

 竹中 ぼくは正面の敵は、いわゆる右翼ではない、国家神道だと思ってるわけですよ。民衆の真正面の敵はね。だから、国家神道の復活だけはどうしても許しちゃいけない。国家神道によってどれだけの人間が殺され投獄されたか、と。たとえば「創価学会」の信者は、初代会長の牧口常三郎が誰によって殺されたか考えてみるがよいのです。昭和十九年・戦争末期に、伊勢神宮の拝礼を拒否して、不敬罪に問われ獄中における死者を出したということは、ある意味で共産党以上のことだからね。
 獄中で虐殺されたボルシェヴィキはいるけれども、国家によって死刑を申し渡された日本共産党員はいないんだ。――】(以下、略)――『左右を斬る』OR『黒旗水滸伝(下)』共に竹中著 に所載――

『宗教は死者との契約』なり、との発言の意味は重い。
 これは、「東京のローカル・コミュニティ」で、著者が述べている次の言葉とも響きあうものだろう。

【――われわれは皆このようなもう死んでしまった人々やいなくなった人々の努力や連帯の記憶をしまいこんだ具体的な地域空間の中に生きている。そのような空間を介して、今はここにいない過去ならびに未来の人々と社会的に繋がっていくことこそが、伝統や文化を尊重するということの本当の意味なのである。地域空間の形状を変えるようなことを考えるときには、それまでの空間にどのような社会的連帯の記憶が埋め込まれているかを社会学的に確かめてみることが求められる。それらをふまえて進まなければ、思わぬ抵抗に出くわしたり、さもなくば一群の人々の生きてきた意味を無に帰する無体を演じることになる。そのようなことを繰り返してきた都市や国家には、他に誇るべき民族の伝統や文化など決して根づきはしないのである。――】(「はしがき」より)

 現代に生きる創価学会員は、初代会長のみならず、広布途上に、未来を夢見つつ逝った無名・無告の同志の想いを決して忘れてはなるまい。(8.24 一部訂正・加筆)

(またまた、管理人さん、恐縮です。)
 

庶民烈伝を読了して (番外)

 投稿者:りゅう  投稿日:2007年 5月17日(木)20時42分51秒
編集済
  「聞書 庶民烈伝」を読む (参考までに・番外編)

 この長期連載の始まる直前、竹中氏は同じ『潮』誌上に、「反創価学会キャンペーンをめぐって」という論考を4ヶ月連続で執筆した。当時、いわゆる“月刊ペン”に端を発し、以後延々と繰り返された反学会報道の欺瞞性と謀略性を暴き、「言論のフェア・プレイ」を回復させるために、頼まれてもいない“学会の助っ人”として論陣を張ったものだ(1983年2月発行、「仮面を剥ぐ」幸洋出版 に所収。「溝口澄江さん」の言う“爆弾を落とす”とはこのこと)。
 その三回目の記事を閉じるにあたり、次のように述べて、どこまでも庶民と「共生同死」しゆく自身の美学を披瀝している。

【今、私の心は、青春の日におとずれたことのある町々や村々を、飛光のごとく駆けめぐっている。山梨県道志村、昭和二十四年初夏・農民組合結成オルグ(同二十七年秋・山村工作隊)。北海道小樽、これはより早く敗戦の翌二十一年夏・飢餓放浪の途上。大分県日田市、ここはふるさと福岡の隣県、筑後川の源流に近い。耶馬渓に遊んだのは、小学校五年生、紀元二千六百年(昭15)。

 少年時代は東京下町育ち、戦前の下谷車坂、稲荷町、神吉町、万年町細民街、浅草六区、花屋敷、五重塔。山谷の泪橋界隈、日本堤。三階建ての豪勢な家が建ち並んで、森(しん)としていたあれは吉原、深川八幡、人形町、水天宮。旧東海道、ジェームス坂、お台場の見える海。
 神楽坂、毘沙門天の縁日、露店(さんずん)のカーバイトのにおい。ベイゴマ、ケン玉、相撲メン。合の子弁当、「ええ、ハヤラ一丁!」(ハヤシライス)、すしや横丁、釜めし、屋台のやきそばの香り。鞍馬天狗、李彩の南京手妻、ひょうたん池、人間――わが町、なぜか牧口常三郎の足跡と、想い出は通じあうのだ。そこに「庶民烈伝」、名もなき人々の生活と、歴史と、信仰がある。

 センチメンタルに言うのではない、一九六八年(昭43)、山谷労働者と都庁に乱入して、私は逮捕された。
 五八年(昭33)、三流夕刊紙の記者として、浅草六区のストリップ小屋に売文の出発はあった。そして四八年(昭23)、上野地下道で赤旗をふっていた。十年ひとむかしを、陋巷(ろうこう)の記憶は三たび刻む。反学会キャンペーン、信仰をおとしめる人々に無名・無告の庶民への連帯はあるか? 現在の創価学会について、ほとんど私は無知である。
  〔中略〕
 『潮』以外の学会系出版物に寄稿したことはなく、『聖教新聞』を本稿のためにはじめて購読した。ようするに私は、学会とまるで縁なき衆生であった。だがしかし、当たりまえの学会員、老若男女の貌(かお)は、親しい感情で胸底に去来するのである。京浜蒲田駅の線路ぎわのボロ屋に住居していた春秋、昼間もごろごろしている(実は売れない原稿を書いているのだが)私を、菓子やいなりずしを土産に折伏にやってくるおかみさん。
 半年間ものあいだ、ラーメン・餃子をツケにしてくれた中華料理店の若夫婦、家賃を長いこと待ってくれた大家さんも学会員だった。親切なその人達が、“選挙違反”の仲間を奪い返そうと、交番に突っこんでいった姿を、忘れることができない。私はあなたがたに恩義がある、この文章で、その借りをいくらかは返すことができただろうか?】(1982年12月号)

 「喧嘩屋」とも呼ばれ、歯に衣着せず徹底して“野干”を斬りまくった竹中氏だったが、決して品性を失わず、ユーモア、そして優しささえたたえた文章は、何年経っても色褪せることはない。

(管理人さん、再度お世話になりました。感謝します)
 

教育学パラダイムの有効性 : 牧口常三郎の場合

 投稿者:カント  投稿日:2007年 5月13日(日)23時27分26秒
  斎藤正二
教育学パラダイムの有効性 : 牧口常三郎の場合 : 『人生地理学』はジョホノット教育学・ヘルバルト主義教授理論から生まれた

日本教育学会大会発表要旨集録 41,69,19820802(日本教育学会)

本文:http://ci.nii.ac.jp/cinii/servlet/CiNiiLog_Navi?name=nels&type=pdf&lang=jp&id=ART0001434112

http://ci.nii.ac.jp/cinii/servlet/CiNiiLog_Navi?name=nels&type=pdf&lang=jp&id=ART0001434112

 

『人生地理学』に"生活主体と地域との関係"をさぐる

 投稿者:カント  投稿日:2007年 5月13日(日)23時25分26秒
  斎藤正二
牧口常三郎初期教育思想の研究 (I) : 『人生地理学』に"生活主体と地域との関係"をさぐる

日本教育学会大会発表要旨集録 36,81,19770902(日本教育学会)

本文http://ci.nii.ac.jp/cinii/servlet/CiNiiLog_Navi?name=nels&type=pdf&lang=jp&id=ART0001433751

http://http://ci.nii.ac.jp/cinii/servlet/CiNiiLog_Navi?name=nels&type=pdf&lang=jp&id=ART0001433751

 

庶民烈伝を読了して 7

 投稿者:りゅう  投稿日:2007年 5月13日(日)12時18分44秒
  「聞書・庶民烈伝」を読む 7

秋の巻四 襤褸の巷〔えぴろおぐ(下)・抄〕
【〈後継の世代には〉安堵の福運、永遠であってほしいと願い、また究極は支配に対立する信仰者の荊棘〈けいきょく〉を、学会の若者たちは突き進むべきだという期待は、交々(こもごも)胸をよぎります。せめて、私たちにできることは何か、過去を語って未来にそなえる、判断の基準を示すことぐらいしかありません。それを、扇動と称する人々はさておいて……】〈竹中氏の友人でもある“折伏の女性闘士”への書簡風あとがき〉


 以上、できれば全巻入力したいところだが、そうもいかないのでここまでとしたい。
 太田青年部長との対談で、第三の世代云々とあるが、今や第四の世代の時代となりつつある。彼らがこの書を手にしたら果たしてどんな反応を見せるのだろうか……。

 興味を持たれた方はぜひ図書館で探して熟読してください。なお紀伊國屋書店発行のDVD、初代会長の映像評伝「こどもたちの しあわせのために」を合わせて参考にすると、より臨場感が醸し出され、“理会”しやすいと思います。(了)

 管理人のてんてんさん、長々と大変お世話になりました。 りゅう 拝
 

庶民烈伝を読了して 6

 投稿者:りゅう  投稿日:2007年 5月13日(日)12時08分39秒
編集済
  「聞書・庶民烈伝」を読む 6

秋の巻四 襤褸の巷〔溝口澄江さん(74)との対話 商店経営〈戦前は外地で教師〉・抄〕
【竹中 私は不安なんです、『庶民烈伝』を書いていて、若い人たちに理解してもらえるだろうか? あの戦争はどこで、どう間ちがったのかわからないんじゃないか、ただただ悲惨であったと……
 溝口 いいえ、そんなことはありませんよ。若い人たちだって、今に真剣に世の中のことを考えるときがくる。そのとき、『潮』に書かれたことをきっと思い出します。こんなふわふわした、増上慢の時代がいつまでつづくものですか。戦争はもうイヤ、でも先生。またおきるような気がするの、大聖人も予言されているでしょ、国難は必ず再び来ると。
 竹中 忘れたころに、ね。

 溝口 ほんと、大正育ちの私たちのんきだったのよね。モボ・モガ、自由恋愛なんちゃって(笑)。あっという間、昭和に入ったらそれこそ雪がなだれるように、世の中は軍国主義、それでもまだ目がさめない。あの体験をして、私たちはようやく覚ったのね。もう七十半ばだけど、生きている限りは闘える、国家諌暁ができると思っているんですよ、先生も頑張らなくっちゃ。
 竹中 恐れ入ります(笑)、激励されたりして。
 溝口 創価学会のために、爆弾落としてくださって、野干どもが吠えなくなりましたでしょう。竹中労という人は、学会の一番の恩人じゃ。池田名誉会長と同じように、長寿をお祈りしています。
 竹中 参ったな、幹部の皆さんはどう考えておられるのか、外山クンご意見は?
 外山 ノーコメント(笑)。】〈外山氏:取材同行の潮編集者〉
  〔中略〕
【溝口 病気が治る、信心しないとバチが当たるなんて馬鹿じゃないか、迷信だと思っていたのね私。けれど先生、信心とは魂が肉体に打ち克つことなんです。
 竹中 つまり、おのれを折伏するということ。
 溝口 十三年も脚が曲がらん、心臓喘息という業病に患った、脳血栓で倒れもした。不思議に命永らえて、駅前の小さな店を、こうして守ってゆける。信心のおかげですよ、昭和五十年五月三日、第一回の広布功労賞をいただきました。九州の田舎の片隅の名もない婆ちゃんがね、日蓮大聖人の勲章もろうて。
 竹中 霊鷲山(りょうじゅせん)、常寂光土に成仏できますね。

 溝口 まだまだ(笑)。ところで労先生は、なぜ入信なさらんの? 学会に入っていただけたら、ほんと心強いのに。
 竹中 入信するのと、創価学会に入るのは別です。
 溝口 いいえ、同じですよ。
 竹中 誤解のないように、入れてくれんのですよ、私のような異端のヤンチャ坊主は(爆笑)。
 溝口 私は待ってます、それまで決して死なんから。】〈1985年の取材。この方(1959.4.8入信)の、九州弁で語られる壮絶な体験談は、まさに全文必読!〉(続く)
 

庶民烈伝を読了して 5

 投稿者:りゅう  投稿日:2007年 5月13日(日)12時01分6秒
  「聞書・庶民烈伝」を読む 5(〈〉内はすべて引用者注・以下同)

夏の巻三 衆生病む
【巷間、流説を聞く。“新右翼”は創価学会をターゲットに定めて、武闘を展開すると。根底にわだかまるものは、靖国神社問題か? 否、そうではあるまい。彼らを反学会感情に奔らせる、もっとも大きな理由は、ニッポンの現状に対する短絡した危機感にある。学会は体制を補完している。あるいはすでにみずからが一個の体制である、という誤解を正さなければ、敵意は決して解消しない。牧口常三郎とその時代を、“伝記”から故意に離れて、書きついできた真意は、その思想と信仰とが明治・大正&昭和三代、なべての歴史的事実、庶民の生きざまと接点を持ち、和衷する(すなわち広宣流布する)ことを、証明することに他ならない。】

秋の巻四 襤褸(らんる)の巷〈表紙・目次には“巻”とあるが、巷の誤記と思われる〉
【組織としての学会に(また党派としての公明党に)、ホモゲシュタルト的傾向があることは否定できない。それはなべての体制がまぬがれぬ、悪しき機能である。水滴は集合して流れ下り、大河となって死ぬ。すなわち広宣流布の海洋に、よみがえるのである。海洋もまた等しく、水の一滴の集合であることを想え。学会ではなく、学会員庶民衆生に依拠して私は、信仰の原点を見すえようとしている。ご理解のことと思うが念のために、創価学会員では私はない。一介のもの書き、あえて言うなら布衣の「行者」〈「行者」に“ルポライター”とルビ〉、川面を吹き渡り去っていく、風の私度僧である。】

秋の巻四 襤褸の巷
【――読者から手紙をいただいた、〔法華経を熟読しても妙法を唱えなければ、信心の功徳はありません〕。
 功徳とは何か、つまりおのれ一個の満足か、あるいは、日本という「小さな島」(と日蓮は言っている)、その一国の平和か?? 他国の不幸を余所に見て、飽食することなのか???
 また読者から、〔期待するべきは衆生、一人びとりです。学会にも、学会員にも期待することは間違っています。少なくとも、私の信心と、竹中さんの考えや生き方とは、別のものではありません〕。有難う、だが私は期待する。学会にも学会員にも、日本の世界侵掠、軍国主義化を制動する歯止めとなることを。ほとんど絶望しながら、望みをつなぐのである。理会してほしい、この連載は誰を対象に、何を目的に書きつがれてきたのかを。】(続く)
 

庶民烈伝を読了して 4

 投稿者:りゅう  投稿日:2007年 5月12日(土)23時40分51秒
  「聞書・庶民烈伝」を読む 4

春の巻二 春と修羅〔太田昭宏青年部長との対話 1984.4.6・抄〕
【太田 ――戦後の学会には、おおざっぱに三つの青春があるとぼくは考えます。つまり、昭和二十・三十年代を、戸田城聖先生と共に闘って来た第一の世代。この人々は言えば、戦争によって青春を奪われたりさいなまれてきた。それが、あの爆発的エネルギーの源泉になっている。
 第二の世代がぼくたち、“全共闘”の激動に身を置き、学会的には一九七〇年(S45)・「言論問題」にかかわった。戦後二度目の政治の季節と、若者として出会ったジェネレーションです。第三の世代は現在の十・二十代、竹中さん流に言えばきたるべき日本の運命と、世界の大乱を体験するであろう青年たちです。率直なところ温室育ちで、純粋培養的な脆(あやう)さがある。】
  〔中略〕
【竹中 あなたのような秀れた指導者がいれば大丈夫、これは世辞で言うのじゃナイ。第三の世代を戦士に鍛えあげて、戸田城聖のいわゆる「梁山泊」、百八の星々とする責任がある。
 太田 アジられている(爆笑)、いや頑張ります。彼らはバランスのとれた、現代風な性格の反面、命をインスパイアしたいという願望を持っている。だから狂信的(ファナティック)にではなく、我々よりしたたかな戦さをしてくれるのではないかと、実は期待しているのです。】(続く)
 

庶民烈伝を読了して 3

 投稿者:りゅう  投稿日:2007年 5月12日(土)15時32分21秒
編集済
  「聞書・庶民烈伝」を読む 3

冬の巻一 雪炎(も)えて〔まえがき・抄〕
【牧口常三郎、この人を見よ!信仰は闘争である、折伏とはすなわち勝負である、原点に戻らねばならない。戦時下不退転の信仰をつらぬき、壮絶な獄死を遂げた初代会長・その全生涯を、克明にルポルタージュする長征に、私は出立する。
 とりもなおさずそれは、学会の現在と未来とを、照射する営為である。同時に、会外の疑惑に答えて、不可蝕の扉を開く試みともなり得るのだ。
  〔中略〕
 若者たちの一人一人が、どのような未来を目的し・往生の歴程を踏むかに関心無之(これなく)、教訓を与える了見もない。ただ、抵抗者・牧口常三郎の志、彼の帰依(きえ)した日蓮の魂は、末法末世の現在に継承され、「旃陀羅(せんだら)の子」たちの心奥に埋火(うずみび)のごとく置かれて、諫暁(かんぎょう)の炎となることを、私は確信したい。】

春の巻二 春と修羅
【創価学会初代会長その足跡を執拗に追うことに、どういう意味があるのかを疑い嗤(わら)う会内外の人々がいる。会員以外に興味のないことを、しかも神聖伝説を壊し、“異端の書”の謗(そし)りをうけながら、馬鹿みたいに歩きまわっておる。まったくもって、精力の浪費ではないのかと。
  〔中略〕
 私はただ、民衆宗教(庶民信仰)とは何か? 千万人を折伏し組織する・そのエネルギーの根源を、明らかにしようとしている。初代会長の思想と人格、国家権力に屈せず獄中に昇天した・その生死烈々に、これを確かめること……
 それは・とりもなおさず、“窮民の革命原理”なのである。】(続く)
 

庶民烈伝を読了して 2

 投稿者:りゅう  投稿日:2007年 5月12日(土)01時24分21秒
編集済
  「聞書・庶民烈伝」を読む 2

 さてここからが本編。借り受けた四冊は、さほど多くの人に読まれた形跡はなく、比較的新しいまま。皆様おなじみ月刊誌『潮』・1983年4月号から1986年11月号まで、ほぼ四年間にわたって連載され、サブタイトルに「牧口常三郎とその時代」と銘うたれたルポルタージュの単行本。
 ある意味著者畢生の大作といってよく、新潟・佐渡・北海道・東北・東京・甲斐・九州と、牧口初代会長の足跡を著者自らがもれなく踏査し、関係者の証言と、彼独特の嗅覚によって収集された膨大な文献・史料を元に書かれた文字通りの“労作”。今なら「牧口常三郎の軌跡」とでも言えるか。
 恐れながら、現在同じ『潮』に連載中の「池田大作の軌跡」よりも、ある種資料的かつ文学的価値は高い、と思う。(書かれている人物の評価に非ず。念の為)

 和泉・辻・小泉の草創期最高幹部との座談会に始まり、小樽法論、夕張事件の当事者へのインタビュー等、1940,50年代入信の、広布の生き証人とも言うべき人々による、珠玉のごとき体験談がいたるところに散りばめられている。また初代会長や戸田二代会長のみならず、歴史上の人物に関するエピソードが会員・非会員を問わず、当人を知る人々の口から生々しく語られるのはまさに驚き。
 ざっと名を挙げれば、大杉栄、甘粕正彦、石川啄木、夏目漱石、児玉誉士夫、室原知幸……等々。
 さらに、太田昭宏青年部長(当時)と竹中氏の対談まで収められている。

 全四巻ではあるが、通読すれば判るとおり、連載の延長を望んだ竹中氏の願いは、当時の一部会員読者の反発もあってか編集部に聞き入れられず、“未完のまま”唐突に擱筆されている。
 最終巻発行から20年経つが、とうに絶版となっており復刊も文庫化もされてはいない。
 皓星社(ハンセン病者の文学全集刊行等で知られる出版社)から、7,8年前に復刻出版のアナウンスがあったものの、何故か中断されたまま今日に至っている。
 やたら思い入れの勝った過激なアジテーションと看做されているのか、初代会長の事跡に関する研究者は数多くいるが、それらからも本書は完全に無視されている。

 この当時小生は、リアルタイムでこの連載を読んではいた。ただやたら漢字だらけの独特の文体と四年間の長丁場についていけず、完読には至らず中途で挫折、単行本も買わずじまいだった。正直後悔している。
 20年後のいま再読してみてもその印象は変わらないが、タイムマシン「竹中号」に身を委ね、明治・大正そして昭和の三代を縦横に旅することは、読み慣れるとクセになり、面白くてやめられない。
 特に最終巻に描かれる「蜂の巣城」落城・の挿話は、1998年の、あの「民衆城」破壊・に重ね合わせて読んでいくと、強烈に忸怩たる思いに駆られる。今更悔いても詮無いが、われらはあの時、一気に決着をつける最大のチャンスを、見す見す逸してしまったのではないかと。

 この書に貴重な証言を寄せた無名の会員の大半は、既に故人となっておられるだろう。かけがえのない尊い記録を、このまま過去のものとして歴史の底に沈めてしまっていいものか。
“創価ルネサンス”を経た現在こそ読まれるべき本ではないのか。潮出版社や本部はどう考えるだろうか。「正史」とはいえない古い本は読んでくれるな、「時の流れは逆らえません」、か?……。
 これではあまりにモッタイナイので、再刊の願いも込め、一部を書き記したい。(続く)
 

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